唐突だがちょっとメモを。
「この『吉良吉影』…………自分で常に思うんだが、強運で守られてるような気がする……そして細やかな『気配り』と大胆な『行動力』で対処すれば……けっこう幸せな人生をおくれるような気がする…………クックックックッ」

 ふと思う。
 自分を不幸だと言っている人間は、その実、不幸ではないのでは、と。
 実際には「不幸な状況」も「幸福な状況」もありはしない。ただ「状況」というものがあるだけなのではないだろうか。
 ただ、その「状況」に直面した人間が、それに対して「不幸」か「幸福」かを勝手に決めているに過ぎない。
 不幸か幸福かを思うのが自分なのであれば、それは変えられる。
 自分を不幸だと言っている人間の大体は、その状況を変えられないと信じ切っている。
 理由は分かるし心中お察しするが、本当にそうなのだろうか?
 実際変えられない状況は確かにある。だが、変えられる状況もある。
 そして、自分で感じている事は変えられる。
 そこにはただ「状況」があるだけ。「幸福」だと思えばそれは「幸福」になるのではないだろうか。
 折角なんだから「幸福」だと思って生きた方が得な気がする。

 ここまで書いて、こうも思う。
 僕は幸福だ。生まれたときから。
 それはつまり、本当の不幸を知らないのでは、と。
 本当の不幸を知らないから、こんな事が書けるのではないのか、と思う。
 知り合いの中には、客観的にどう見ても不幸な人が居る。
 変えられない状況だったし、幸福と思え、なんてのは無理があった。
 だから、無理に状況に対して、それを「幸福」だと思って生きる必要も無いと思う。
 別にそれを「不幸」と思って生きても、それはそれで良い。
 自分を不幸だと思って生きても、多少他人に迷惑をかける程度なのだから。
 自分をどう思うかは自由。ただ、どうせなら「幸福」だと思った方が良い気がする。

 全ての人に与えられますように。変えられないものを受け入れる落ち着きを、変えられるものを変える勇気を、その両方を見分ける賢さを。
 じゃ、今日はこのへんで。
「おまえに味方する『運命』なんて…………おまえが乗れるかどうかの『チャンス』なんて…………今! ここにある『正義の心』に比べればちっぽけな力なんだッ! 確実にここにある!! 今、確かにここにある『心』に比べればなッ!」
http://webclap.simplecgi.com/clap.php?id=hiyotyann
 あるぇ~? WEB拍手って入れるとこねーじゃん。

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